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2015/7/19

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豊臣秀吉がぐう畜すぎる

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http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1421825329/


1 :名無しさん@おーぷん :2015/01/21(水)16:28:49 ID:aka
・処刑される秀次の妻子は、獣のように車に押し込められて引き回された。殺されると知らない子供たちは母親に甘えていて、都人はそれを見て涙した。
・処刑場になった三条河原には、秀次の腐り始めた首がある。妻子たちはそれを拝むと、順番に首をはねられた。
・姫君のひとりが処刑を見ていった。「私もああなるの?」母は応える。
「念仏を唱えれば父上に会えますよ」。それを聞いた処刑人は「叶わぬ望みよ」と姫を引きずり出し刺し殺した。亡くなった子供は上は九歳、下は三歳五名。
・殺された妻妾は三十四名。上は尼僧68歳、下は12歳。

・彼女らの死骸は、犬のように転がされてひとつの穴に捨てられた。その上には「秀次悪逆塚」ときざまれた碑が置かれ、ひとびとはいつのまにかそれを「畜生塚」と呼ぶようになった。
・都には夜のうちに貼り紙がなされた。
「今日の狼藉は、あまりにひどい、こんな政権は滅びてしまえ。ああ、因果のほどを覚悟しろ」と。
秀次に連座した大名は最上義光、伊達政宗、細川忠興らがいる。彼らはのちに東軍につく。確かに因果はめぐったのだ!

その塚はしばらくそのままで、洪水で破壊されていたが角倉了以が慶長十六年、高瀬川改作のさいに瑞泉寺を建立し菩提をとむらった。

2 :名無しさん@おーぷん :2015/01/21(水)16:31:53 ID:JlH
秀吉が嫌われてるのってこういうとこだよな


7 :名無しさん@おーぷん :2015/01/21(水)16:42:25 ID:c0G
秀吉の身内で幸せに天寿全うしたのが母ちゃんぐらい
ひどい


14 :名無しさん@おーぷん :2015/01/21(水)17:43:08 ID:9mX
>>7
秀長も悪くないやろ
寿命も当時からすれば極端に短いわけでもないし


15 :名無しさん@おーぷん :2015/01/21(水)17:47:47 ID:c0G
>>14
確かにそうかも
ちょっと心労たたってそうだけど
そういや高吉は秀長の跡継ぎになりそこなったあげく藤堂さん家で冷遇されまくってかわいそうだったよな…


8 :名無しさん@おーぷん :2015/01/21(水)16:52:49 ID:aka
 さて、一族が秀次の首との対面が終わると、ひげ面の男が秀次の側室、於和子(おわこ)に近づき、抱いていた6歳になる秀次の長男、仙千代丸の首根っこをつかんできたのだ。

 於和子は身を後ろによじらせて、阻止しようとしたが、さらに伸びてきた男の手は子犬を扱うように持ち上げ、手足をバタバタさせる仙千代丸をやりでふた刺し。ぐったりとなった仙千代丸。この瞬間、周囲から悲鳴ともとれる叫び声がわき起こった。

 男はその場で遺体を捨てると、於和子は大事そうに血まみれの子供の遺体を抱きしめて泣き崩れた。このようにして4人の若君を殺害する。そして子供のうち最後に残ったのが9歳の姫君。

 土丸(つちまる)が処刑されたところで、次に自分の番がやってくるのがわかっていた姫は母親の於亀(おかめ)にしがみついたが、於亀は「10回ばかり念仏を唱えなさい。すると父に会えますよ」と諭した。

 母の言葉どおり姫が10回唱え終わると、例の男が近寄り、これまた例のごとく両手を合わせる姫の胸をふた突きした。さらに男は吹き出る血しぶきとともに痙攣(けいれん)を起こす姫をつかみ、川に投げ捨ててしまう。

 子供でも容赦しない手法におびえる一族は手を合わせて念仏を唱えるしかなかった。刑場を取り囲む人も顔は青ざめ、見に来たことへの後悔の念でいっぱいだったという。
http://www.sankei.com/west/news/140126/wst1401260080-n4.html


12 :名無しさん@おーぷん :2015/01/21(水)17:39:05 ID:tNt
そら滅亡するわな


16 :名無しさん@おーぷん :2015/01/21(水)18:07:42 ID:GlX
秀次の妻妾の中でも尼僧68歳とか闇が深過ぎない?
12歳は今の感覚だとハイティーンぐらいだろうけど


17 :名無しさん@おーぷん :2015/01/21(水)18:16:06 ID:c0G
>>16
なんか乳母ってか教育係みたいな説があったな


19 :名無しさん@おーぷん :2015/01/21(水)19:20:40 ID:MKg

豊臣秀次切腹に新説…秀吉は命じず、身の潔白訴え自ら切腹か 
国学院大准教授が「太閤記」に疑義
http://www.sankei.com/west/news/131117/wst1311170012-n1.html

 豊臣秀吉は実子の秀頼が生まれると、甥(おい)の関白秀次が邪魔になって切腹させた-。
こんな通説に国学院大の矢部健太郎准教授(日本近世史)が疑義を呈し、「秀吉は秀次を高野山へ
追放しただけだったが、意図に反し秀次が自ら腹を切った」とする新説を打ち出した。秀次の死を
めぐっては、その背景を明確に記した史料が同時代になく、研究者も興味深い説だと評価している。
(渡部裕明)


22 :名無しさん@おーぷん :2015/01/21(水)20:11:38 ID:9mX
>>19
それでも奥さんやら子供やらを罪人並の扱いで殺した事実は変わらんしなぁ


23 :名無しさん@おーぷん :2015/01/21(水)20:18:27 ID:IwA
>>19
秀次が自分から切腹したかどうかに関わらず切腹後の処理がアカンわ
蒲生騒動の事後処理も含め秀次事件以後の数年で死に体に追い込んだはずの家康が一気に息吹き返すことになった


24 :名無しさん@おーぷん :2015/01/21(水)20:43:36 ID:MZ6
人望0で長く続いた政権って国内外を問わずないやろ
賢者は歴史に学ぶって大事やで


27 :名無しさん@おーぷん :2015/01/21(水)21:18:42 ID:pQH
羽柴時代は努力家の好青年だったんやろ?
柴田勝家が織田政権継いでたらまた変わったんかなあ


28 :名無しさん@おーぷん :2015/01/21(水)21:32:14 ID:xKL
>>27
勝家だったら織田家は潰さないから織田家は残るとしても後を継ぐのが信雄か信孝じゃ勢力圏の維持も怪しいな


30 :名無しさん@おーぷん :2015/01/21(水)22:17:37 ID:Thr
江戸幕府なんて秀吉どころじゃない無能だらけで失態繰り返してたがな


32 :名無しさん@おーぷん :2015/01/21(水)22:20:28 ID:sLs
>>30
だからって戦国時代みたいなくっそ殺伐な時は正に世紀末状態ではなかったやろ


37 :ダップンモン ◆9G12fmecqU :2015/01/21(水)23:09:16 ID:N2J
家康も信長もみんな畜生なんやで


38 :名無しさん@おーぷん :2015/01/21(水)23:18:35 ID:N9h
そらそうよ。ぐう聖が生き残れるほど甘い時代やないからな
上司、家臣、他の大名、領民、全員にいい顔できるわけがない


39 :名無しさん@おーぷん :2015/01/22(木)00:39:10 ID:pTd
もともと織田家臣の時は人当りもよかったらしいし損得考えまくってたんやろ
秀次がしょうもない無能でまた戦乱の世に戻そうとしとるから謀略考えて処刑したんちゃうか

まあ自分の息子が可愛いから秀次処刑して継がせたかったってのもあるやろなあ


40 :名無しさん@おーぷん :2015/01/22(木)00:55:50 ID:u98
秀次無能・畜生説は殺した後につじつま合わせるために流された可能性が


43 :名無しさん@おーぷん :2015/01/22(木)01:09:17 ID:hGe
江戸時代が終焉してまだ150年程しか経っていないという事実。


44 :名無しさん@おーぷん :2015/01/22(木)01:12:45 ID:XsX
>>43
そう考えると250年ほどを一括りの時代にするのって違和感あるな


47 :名無しさん@おーぷん :2015/01/22(木)01:47:25 ID:bXa
地味な話題のせいか触れられることは少ないけど、秀吉は
今までの大名統治者達が、手を付けることのなかった国人衆豪族、
ほか百姓等々といった各種勢力にたいして大規模な
武装解除という改革をしているんだよな。
同時期に行われた海賊禁止令も同様。

これらの改革のおかげで、戦乱の火種や拡大になる
要因の一つが消えたわけだから、
秀吉はこの点で一大改革者ともいえる。

無論、この体制を継いで、さらに制度を整えたのは
徳川幕府なのは言うまでもない。


48 :名無しさん@おーぷん :2015/01/22(木)10:08:21 ID:YBm
羽柴秀吉、好き
豊臣秀吉、市ね


53 :名無しさん@おーぷん :2015/01/22(木)23:56:45 ID:66q
※47
キリシタンの活動に制限を加えた功績に入れてもいいと思う。

当時の日本にいたイエズス会のヴァリヤーニが、
イエズス会フィリピン準管区長ライムンド・プラドに書簡を送っているのだが、
以下のような内容。

日本の各地の領主たちが、スペイン人に対して疑惑を持ち始めている。
スペインが、ペルー、ヌエバ・エスパーニャ、フィリピンを征服、
またモルッカ諸島を征服するために大艦隊を保持していたことや
次は日本と支那を標的にしていることを、日本人と支那人に知られているので、
両国はスペイン人及び宣教師を非常に警戒している。
なぜなら、毎年、日本船や支那船がマニラ等を行き来している間に
見聞したことを語られてしまったからだ。

以上

フロイスの日本史から確認できるが、
秀吉は切支丹に対して、非常に好意的な期間があったにも関わらず、
九州に下向して、九州に置ける宣教師、南蛮人の動向に触れてからの
短期間のうちに、厳しい御触れを出していることから、
実態を把握したものと推測される。
実際、秀吉の側近が記した九州御動座記には、
南蛮商人の奴隷売買とキリシタンの法について触れられている。


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